青パーカーの書き散らし

宗谷岬でまた会おう。旅の記憶と知識の記録。

23.2.8 俺たちは人生のレースをやっている

今日の仕事が終わった。
朝10時半から18時までの定時ムーブだった。

バイク用のコートを着込んだあと、待ち合わせをしていた後輩と落ち合って、自転車を全力で漕いで坂の上の町へ繰り出す。
小雨の降る夜だった。

やってきたのはこじんまりとしたナン屋。
就職して埼玉にやってきてから、5年間通っているナン屋だ。

「大将、チキンビリヤニをひとつ。それと氷抜きのラッシー。」
「アイヨ!ビリヤニトコオリヌキラッシネ!?」

チキンビリヤニ

ハフハフジュルリ。

5年も通っていて、初めてこのお店のビリヤニを食べた。
お米が日本米で、味の奥底に独特の甘みが広がる。
これも悪くはないが、やはりビリヤニタイ米だな、と思った。

このビリヤニは800円で、目算で米が1.5合〜2合ほどある。
食事が運ばれてきて山のように盛られたお米を見て「これを食べるのは無理があるかもな」と思ったが、案の定すぐにスプーンが止まって、最後の3掬いは一緒に来ていた同僚が平らげてくれた。

命からがら家に帰ってきた。
加湿器とエアコンを付けて布団に倒れ込んだら、急速に血の気が引いてきた。これは腹痛だ。下痢を伴うやつ。
こうしてトイレに籠もって、この当たり障りのない記事を書いている。

25歳男、もう無理ができない身体になりつつあることは分かっている。
しかし、人には無理とわかっていながらも拒否できないものがあるのだ。

それが今日の私の場合は、暴力のように盛られたこのビリヤニを食べきることだった。
私の家系は、先祖代々漁師でありながら百姓であるので、米を残すことは先祖への冒涜でもある。
だから、身体に無理を掛けてでもこのビリヤニを糧にする必要があった。

ふと、時には無理をしてでも攻める必要がある部分がレースみたいだな、と思った。
名分にこそ差は生まれるが、何かを得るためにはプッシュが必要なのだ。
この場合は"矜持を曲げない"ために、"ビリヤニを余さない"というプッシュをした。
人生には様々なレースがあって、それは他人との戦いであったり、自分との戦いであったりする。

でも、25歳の身体にこのビリヤニは無理だった。
食べたものが、こうして下から出てきてしまったのだ。

俺たちは人生のレースをやっている。


Twitterもやっています。
興味がありましたらフォローお願いします: ゲーミング初音ミク (@heliumu_cub) / Twitter

// 関連記事内 Ads // カテゴリ内 // 記事下 Ads // 目次うえ Ads