青パーカーの書き散らし

今日観たものと明日見るはずのものを書きます。

映画『天気の子』を見てきたが、新海誠は何も変わっていなかった

満を持して映画を見てきた。

「やってくれたな」というのが第一感想。

薄々感じてて、前回の記事にも書いたが、やはり映画を見て、全部納得した。

以下ネタバレ注。

目次


1.セカイ系の答え

今回、はてブを眺めていると"セカイ系の答えだ"という意見が多かったが、マジでそれでしかない。
記事の中身は読んでないし(サセン)、『セカイ系とは何か』という本も知ってて読んでない(サセン)。

でも、見れば、これは新海誠の答えだ、と言わざるを得ない。

もう見てる途中からやっちまえ新海!!!って応援してしまった。


2.ここがすき

2-1.マクドの陽菜が振り向くシーン

好き。
観客はここで陽菜に落とされる。

2-2.大人と子供の対比

『小説版 天気の子』のあとがきには、「須賀(小栗)も須賀(本田翼)も言い分を持ってて、それを描きたかったから2人の視点から書いた部分があります」みたいなことが書いてある。
(ちょっと今出先で書いててうろ覚えで申し訳ない)

映画では主人公視点で進むが、特に須賀(小栗)の揺れる心の表現がたまらなかった。

平泉成に自分の心のうち(忘れ形見の娘に対する想いの強さのようなもの)を気付かされて帆高を止めに行くが、目はずっと揺れている。
警察が来て、帆高が圧えられて、いても立ってもいられなくなってバカな選択をしてしまう、オトナの須賀がめっちゃ好き。

追記:
やっぱりこのときの須賀の心がわからない。
小説版を読んだら、このときどうやら須賀は奥さんに会えるなら世界を敵に回してもきっと会いに行く、と思っていたらしい。
ならばその後の須賀の行動がわからん。
わざわざ警察を引き連れて帆高の前に顔を出す理由がない。いっちょんわからん。


3.ここがだめ

3-1.主人公が気持ち悪い

新海の描く主人公って、絶対どっかで「大人になりて~」って思ってるところがある。
その対比として"子供の姿"を描くわけだが、帆高の子供な部分はかなり気持ち悪い。
言の葉の庭』まではキャラデザ自体が塩みたいな感じで、それと周囲の環境が新海誠の気持ち悪い部分の抑制機構として働いていたんだと思う。
今、しっかりしたキャラデザがついて、周りにはノッてノセられる人しか居ないため、一種暴走している状態なんじゃないか?と思う。

追記をご覧ください

3-2.キャラクターの作画

新海作品の作画カロリーの凄さは言うまでも無いと思う。
今まではそのカロリーがキャラクターにも使われていたんだが、最新2作は違う。
そんなに気になるわけではないし、背景との調和も取れててふつうに良いと思うけど、なんだか寂しいな、と思う。

3-3.やっぱ小説描くのまだまだやんけ

これは小説の話だが、最初小説だけ読んで、マジで劣化版『君の名は。』やんけと思いました。
今までもそうだったけど、新海作品は小説版だけでは完結しないことを再認識。

でも、映画を見てからなら小説はめっちゃおすすめできる。


結論

僕らの新海誠新海誠だった。

変わったのは周囲、環境であって、新海さんの本質はなんにも変わっちゃいない。

もう中盤あたりからずっとニヤニヤして、やっちまえ!壊しちまえ!!新海、お前のセカイを観客に見せ付けてやれ!!!!!ってなった。
君の名は。』はより多くの人に対してこれを見せつけるための布石だったんじゃないか、とすら思える。

最高、としか言いようがない。

今からちょと二回目見てくる。



追記:2回目見てきました

帆高は嫌われるべくして観客に嫌われる

やたら主人公が嫌われる今回の映画で、やはり自分も鼻に付くなと思っていた。

それは上に書いた理由なんじゃないか?と妄想したけど、2回目を見て、どうもわざと嫌われる主人公を描いたんじゃないか?と思うようになった。

主人公は、”陽菜に会いたいだけ“や”何も足さず、何も引かずにいてほしい“を理解してもらえない。

大人や世界からの理解を得られない子供というのはセカイ系の雛形で、それが描かれることは当たり前だと思う。

だから、当たり前を越えるために新海さんが出した答えが”観客にも嫌われる“ことだったんじゃないだろうか、というのが鼻に付く主人公に対する自分の解釈です。


エンドを理解した

小説版を読んでいて結末を知っていたから油断して、エンドが解ってなかった。

なぜ「僕らは大丈夫」なのか。

そもそも小説版のあとがきに「最後描き悩んで、そういや野田さんの『大丈夫』あったなーって聞いたらまさにドンピシャでこういうエンドが出来上がりました(要約)」ってあって、正直意味がわからずにいた。

それは小説版では『大丈夫』が流れないからだと思う。

2回目で理解したのでまとめてみる。

帆高はフェリーで東京に行く。 でも、変わってしまった東京の姿を見ても何を伝えたらいいのかよくわからない。

立花のばーちゃんに会って、200年前までは今みたいな海だったって聞く。

須賀さんには、世界なんて最初からおかしいって言われる。

田端駅を出て、右に桜並木を見ながらも、帆高はまだかける言葉を決めかねている。

そのとき、坂の上になにかを必死に願っている陽菜を見て全て理解する。

そこにいた陽菜は、自分が世界を変えてしまったことに後ろめたさを感じて、天気の巫女の力も無くなってしまったのに晴れになってほしいって願っていた。

その小さな肩に乗っている世界の重さが帆高には見えてしまう。

だから「大丈夫だ」って声をかける。

というエンド。


結論2

とても面白かったです。