青パーカーの書き散らし

宗谷岬でまた会おう。旅の記憶と知識の記録。

21.03.20 シン・エヴァンゲリオン劇場版は、エヴァンゲリオン補完計画だと思う。

シン・エヴァンゲリオン劇場版(リピート記号)を観てきました。
アニメ映画を見ていたと思ったら、気がついたら実写映画を観ていたんだ...。
そんなことはエヴァではよくあることなんで、特に気にはならなかったけど、新劇場版しか見てない人の目にはどう写ったんでしょうか。
まあこの件に関しては、アニメでできることは少ないから実写とか...って庵野監督も旧世紀版から言ってたので、あくまでアニメでできない表現が必要だったから、今作でもそうしたんでしょうね。

※ややネタバレ。ガッツリはネタバレないはずです。

エヴァと私の馴れ初め

(私の身の上のどうでもいい話です)
エヴァンゲリオンは私のオタク2作目(1作目はひぐらしのなく頃に)で、中学1年の時に初めて見た作品です。
軽く自身の背景を書いておくと、当時、WiFiでモンハンのDLコンテンツで遊んでいたら"裏ワザ"と呼ばれるようなインターネット過疎地域に住んでいました。
そんな世界で、小学の頃親が持っていたWindows Me改XPのノートパソコンでひぐらしをなく頃にのDVDを借りてきて夜な夜な見ていたのがオタクの始まりです。
中学に入るとノーパソもぶっ壊れ、元々興味があったこともあってヤフオクで集めたジャンクでSocket478でPen4なPCを自作して、何か面白い作品がないかと調べて見つけたのがエヴァンゲリオンでした。

TV版、旧劇にどハマりしたついでに当時破までやっていた新劇場版を見て、ふーんなんか3号機にトウジが乗ってないしマリって人が出てきたり気まぐれかなんかでしょ概ね一緒じゃん(わかってない)って感じでした。

そのあと2年くらいしてQが公開されて、ここまでほぼ焼きマシだし次も焼きマシだろうーつって軽い気持ちで観に行ったらなんだか大変なことになって、庵野さんは何がしたいんだろうかと思ったのは多分大多数の皆さんと同じ気持ちだったと思います。

実際は何個か伏線が設置されてて焼き増しじゃないことは後からわかるんですが、当時はそこまで考察記事も読んでいたわけではなく、今も新劇場版は難しくてちゃんとわかっていません。
なんなら、TV版/旧劇も憶測の域を出ない解説ばかりで、私もストーリー上で語られている部分だけは理解できていても、細かい設定や繋がりに理解ができていない部分が多くあったなと、今は思います。

今作の雑感

さて、今作の話になりますが、観終わった時に真っ先に感じたのは、これで本当に終わったんだという安堵と、エヴァンゲリオンはずっと明確な回答が無い宙ぶらりんな状態が心地よかったんだなということです。

悩みつつ、庵野まだか!と思いつつ、わからないから放置する。でもなんかすげえんだよな。エヴァンゲリオンに対してそういう思いを持っていた自分が居なくなったことに、自分の分身を失ったような、ソワソワした気持ちです。
こまけぇことはよくわからないことも多いけどそう感じてるってことは、逆説的に「エヴァンゲリオンが終わった」ということが事実であることを実感しています。

雑感:2

今作は、アニメ版最終話、旧劇、これまでの新劇、やってないけどパチンコとかゲームとか、これまでの全てのエヴァンゲリオンの答え合わせと足りない部分の穴埋でした。

本当は最終回で終わるはずだったものがAirまごころを君にで補完され、それでも足りない部分がやっと補完される。

そして全てのエヴァンゲリオンとサヨナラして、劇中のキャラクターたちの魂も、観客のエヴァンゲリオンに対する想いも全て一緒くたにして浄化する。

これは、これまでのエヴァンゲリオンという作品を清算し、完全なエヴァンゲリオンとする、いわばエヴァンゲリオン補完計画と言える作品だったと思います。

終わりに

ネタバレ込みで本文を書こうと思いましたが、なんだか書く気分じゃない自分がいるので、ここから下に書いたことは気が向いた時に別の記事にします。

細かい部分の気づきとか、繋がったこととか、わからないこととかあるんですけど、「エヴァが終わった」という文字の前に書けることなんて無い気がして、「25年越しの完結に配慮して」というより、そうした意味であまり筆が乗らないのでした。

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