青パーカーの書き散らし

宗谷岬でまた会おう。旅の記憶と知識の記録。

22.11.20 物語は良かったが映像としては駄作と感じた『すずめの戸締まり』

『すずめの戸締まり』

11月18日の金曜日、仕事終わりに池袋のグランドシネマサンシャインへ駆け込んでIMAXで見て、次の日の夜はゴジラが目印の新宿のTOHOで通常版を見てきた。
この日までは小説版は持っていたけれど読まずにいて、映画を2回見終わって、小説版を読んでからこの記事を書いている。

自分は、他の多くのファンと同様、上から目線で語れるような偉い人間では無いけれど、いちファンとして忌憚のない感想を書きたいと思う。面白くないことも書くと思う。

かんたんに感想を述べると、映画版の前半は意味がわからなかった、後半はすごく良かった。
でも小説版を読むと、物語としてはものすごく良かった、映画は、全体を通して本当に駄作だった、に変わる。

3年ぶりのこの作者の描く映画をものすごく期待していたし、広告で触れられている通り「新海誠監督 集大成にして最高傑作」な物語なのに、映像がとてもとても微妙だった、という点で非常に残念だった。

予め断っておくと、この話は大好きだし、関わったスタッフやキャストを一切貶めるような意図はない。
また、他の方の考察などはこの記事を書くまでは一切見ていないので、考えたことに整合性は無いかもしれない。
メモ混じりです。

映画版のみ見て良かったところ

クライマックスがただただよかった。

小さい鈴芽は、幻想的な世界に映るアレが母親じゃ無いことを知っていた。
でも鈴芽は常世で母親を見たと思っていた。それは多分、いなくなった母親に会えたと思うことで自分の心を保ったのだろう。
鈴芽が開きっぱなしだった『私の後ろ扉』=目を瞑りたかったあの日の記憶に立ち向かうために言う決意のセリフが「行ってきます」。

12年間燃え続けていた町が「見る人によって変わる」常世に投影され、最後はあの日の無数の「行ってきます」を聞き、要石をみみずに打ち込む。 全部の時間が交わる常世で、過去の自分を救う。
現世に戻り、閉じ師の鍵で閉じ、ずっと追っていた夢を終わらせて鈴芽は前に進む。

演出も、美術も作画も何もかもがビッタリとハマっていて、特に鈴芽(幼少期のすがた)の三浦あかりさんの声がべらぼうに上手くて役にもマッチしていた。
本当に良かったと思う。

良かったもの

  • 美術がよかった(良くないところもあったけど)
  • 演出もべらぼうに良いところがあった
  • 神戸の観覧車のシーンで、鈴芽が常世に取り憑かれたシーン。最初の扉では常世を見ることができても入ることができなかったのに「入って(見入って)しまった」、そしてそこにいた人々の声を聞き、現実に引き戻されるシーン。このシーンは理由はわからないけどめちゃくちゃ好きだった。
  • 大事な仕事は人からは見えない方がいいんだ。のセリフ
  • 芹澤という人間。ベストオブキャラクターだった。
  • オープンカーの便利さ。オープンなんだから上から乗ればいいでしょ、って考えは嫌いじゃない。
  • お茶の水でみみずが出てきて、鈴芽がジャンプしてみみずに掴まるあたりから急にホラーが始まったところ。普通の人は見えないウラのセカイの描写があって、夕暮れの不気味な空にあの音楽。あのシーンあたりからが特に面白くなってくるところだと思う。
  • 鈴芽の母親に椅子を作ってもらうシーン。超個人的な話なんだけど、自分の祖父がそう言う人だったんだ。。。
  • 日記帳ですよね。真っ黒な日々から急に現れるアレ。一回目に観た時はめちゃくちゃ怖かったんだけど、鈴芽のバックグラウンドだし、そういう恐ろしさも含めて、好きな表現だった。

映画版のみ見て良くなかったところ

説明がない/理由が分からない

前半パートで、説明が無いまま進んでいく描写が多くて物語に没頭できなかった。

  • 何の理由があって「お前は邪魔」か分からない。
  • ダイジンはなぜダイジンと呼ばれたのか。同時多発的に誰もがこの猫は「ダイジンだ」と思い、SNSに#ダイジンといっしょとハッシュタグを付ける。現実にはこんな事は起こらないと思うし、もし起こるならば、視聴者にもこの猫は確かにダイジンに似ているな!と思わせる必要があると思う。
  • 芹澤のタバコを嫌に細かく表現していたが、何か理由があるわけではなさそうなところ。最初はおばさんの視線が釘付けになるので、おばさんにはタバコにまつわる背景が存在するのかと勘繰ったが、別に説明されない。
  • サダイジンが先か、おばさんの本音が先か...ただ、ずっと暮らしてきたけど本音を言えなかったことが解消されて良かったと思う。
  • 結局イスの脚が3つだった理由は何?気づいた時には失くしていて(バス停で言及)、最後は鈴芽から幼少期の鈴芽に渡されるけれど...

意図が伝わらない

  • スナックばぁばぁでの一幕で、あのお客さん物静かなんだけど...とお店の人が言うシーン。お客さん側はささ、ダイジン...と何かを勧める台詞があるが画はネコのダイジン。鈴芽は物静かと言うかネコじゃ無いっすか?と返答するんだけど、結局お店の人はネコのことを指して初めてのお客さんと言ったのか(アンジャッシュのネタのような状態なのか)、本当にネコを見て(もしくは神的なチカラでネコではなくヒトの姿で見えていたのか)言っていたのかが解らない。映画には手がかりも無いので、ポカンとするしかなかった。
  • 納得できない訳ではないが、大震災の痕のこと。今も福島県双葉町のあたりは帰宅困難地域に指定されていて、野放しにされた民家は確かにあの日から窓が開きっぱなしってこともあると思う。あるいは、アルファロメオ?が走る沿岸沿いには長くて高い堤防。けど元はどうだったのかを知らないと、なぜそういう画なのか、という考えに至らないかも。

浮いている表現が多い

  • 声が浮いていた。シーンに対して声が合っていない、ってことがかなり目立った。ただ2回目にはそこまで耳につかなかったため、IMAXが細かな表現までを写していたのか。
  • 台詞もそんな事ねえだろ!?ってのが多かった。冒頭で鈴芽が「__ってナンパか?」と言うシーンから、事あるごとに色んなキャラクターが口にする「君」は耳障りだった。「どきどきする」もなぜあのシーンであんな言葉を演じさせたのか意図がわからない。
  • 民宿で、鈴芽と千果が同じ部屋で寝るシーン。なぜあのシーンは作画枚数を多くしたのか?しかもロトスコープ(ちかっとチカチカで有名になった技法)のような動き方をしている。一体何を見せるためだったのか。単に制作時間が足りなくなって他のシーンは描けなかったのか??わからん。

小説版を読んで

映画版全体について

なぜ映画が「全体を通して本当に駄作だった」と表現したかというと、描きたかった世界を表現しきれていないと感じたから。
映画を最初に見たときはあまりの唐突さについていけず、帰り道一緒に見に行った知人と色々と話したけれど、それでも納得がいかず、なにか見落としがあるのかもしれないと次の日にもう一度見ても、やはり咀嚼することができなかった。そのせいで、この映画はひょっとするとマジの駄作で、終わりよければすべて良い感じなんだろうか?と思ったほどだった。

けれど、小説版を読んでからは物語に対する評価が変わった。
小説版には必要なことがちゃんと描かれていて、だから小説を読んで物語として良くできていることが分かったし、逆に言えば小説で表現できていることを映像で表現できていないのは、すごく惜しくて残念だった。
なので、本当に、関わったスタッフさんやキャストさんには申し訳ないが、映画は結果として駄作だったと思う。

良くなかったところで触れたものの殆どが、実は小説版を見るとだいたい解決するので、私と同じような感想を得た人は小説を読んでみるといいと思う。

大切なものをカットしすぎ

本当に、なんでこれカットしたんやってところが多すぎる。そげなとこ描かんともっとこっちを描いてくれよってところが多い。
本当に多い。映画見てよかったって思う人も小説版を買って、隅から隅まで読んでほしい。

例えば、前半の草太が家に入るシーンで「子供のわがままか」と鈴芽が口にするシーン。
小説では、「医者が嫌いなんて、こどものわがままか」なんですよ。

他にも、船のデッキで鈴芽役の声がやけに明るかった理由とか、幼い頃に地震が起こってからしばらく幼稚園で過ごしていたこととか、モンキチョウを描いた理由とか。
もちろんカットしても成り立つ部分があるってのは、他の映像作品の原作との関係と同じだと思うけれど、これはナシだよなぁってのが多かった。

駆け足すぎ

カットし過ぎの話にも似ているけれど、心の変化と映像の速さが合っていない。

ダイジン

キャラデザが敗北していたのと、SNSのシーンが速すぎて、なぜダイジンと呼ばれるようになったかが分かりづらかった。
「白い髭が昔の大臣に似ている」らしい...

神獣であることを表現んできないキャラデザと演出、声が良くないんじゃないかなぁ。
小説だけ読むと、あぁこいつは神だって思える納得性がある。

ノローグが無い

・・・という問題については、モノローグが無いことが原因だと思う。
新海誠作品は、セリフの8割がモノローグなんじゃないかって思うほどモノローグで創られていると思っていた。
でも『星を追う子ども』や『君の名は』はモノローグが少ない。『君の名は』は大成功だったけれど。

映像表現に対する挑戦のためか、それとも時間が許さなかったのかは本当のところは分からないけれど、今作は特にモノローグで表現すれば色々と解決するところがあったと思う。

その他

  • タイムラプス(風景がガーッと動くやつ)を積極的に取り入れ出したのは『君の名は。』からだと思うけど、前二作でウケが良かったからとりあえず入れとくか、という制作者の意図が見え隠れしててちょっと残念だった。
    タイムラプスは2カット(ひょっとしたら3カット)あったけど、この作品には、風景をゆっくりと流す表現の方がいいと思った。雲の向こうとか、秒速とか、あんなくらいのゆっくりしたやつ。そういう表現でもっとゆっくりと観せてほしかった。
  • パロディサスペンス、伝記、ホラー、ファンタジー、日常、恋愛、色々やろうとしすぎてとっ散らかってる感。

おわりに

こうして色々と考えることも含め、この作品は面白かったです。
欲を言えば、残念だと感じた部分をもう一度表現し直した版を見てみたいと思います。

さしずめ、やりたいことが多すぎて制作が進まなかったんじゃないかな、と勘ぐったりします。
手が込んでいるシーンはめちゃくちゃ見応えがあって、でもそうでは無いシーンは創り込みが荒くて、その差が不自然で却って目立った。 ただ、話がブレブレだったので、大元は脚本とかコンテとかそんなところに時間がかかって、結果とっ散らかってしまったんじゃないかと考えます。
役者の声がシーンから浮いていたり感じるのも、駅構内のシーンで背景人物がかなり荒い3Dモデルだったのも、皺寄せでリテイクを出せる時間を取れなかったのかな、と。

クライマックスが本当に良かったので、そのせいで却って前半のグダグダ感や没入できない感じが非常に勿体無い作品だと思います。
誰も辿り着けない場所をずっと夢見て描いてきた人が、普通の人のように納期に追われているのが皮肉が効いてるなと思いました。

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